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第13部 |
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(5)環境作物 公害教訓に食の安全探る
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間もなく二番茶の摘み取りを迎える茶畑に立つ吉野さん夫婦。「今の水俣をもっと知ってほしい」と話す=水俣市薄原
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コンテナに積み上げられたサラタマちゃんの前に立つ田畑さん。「水俣の気候と、土があるからできる」と胸を張る=水俣市大迫
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芦北郡津奈木町との境にほど近い、水俣市大迫のJAあしきた玉葱(たまねぎ)選果場でタマネギの出荷作業が続いている。一九九八(平成十)年、同JAが商標登録し、ブランド化を進めた「サラたまちゃん」だ。年間約三千トンが全国の市場に出回る。
今や同JAの主力商品で、料理用ペーストやドレッシングも開発されているが、「ここまで来るにはいろいろあった」。同JAサラたまちゃん部会長で、生みの親の田畑和雄さん(53)=同市袋=がしみじみと語る。
サラたまちゃん誕生は八七年に早生(わせ)品種を導入したことがきっかけ。「たまたま水にさらさず食べたら驚くほどおいしかった。それで最初は『水俣サラダ用タマネギ』として出荷した」
市場にも徐々に浸透し、やがて全国放送の人気食番組に取り上げられる。ところがテロップで表示された産地名は「熊本県袋神川」。「水俣市」の文字はなかった。
「水俣の名を削られることに憤りも感じたが、局側から『水俣病について説明しても視聴者に理解してもらえない恐れがある』と言われた。テレビに出ればこのタマネギの知名度は上がる。悩んだ末に出ることにした」と田畑さんは振り返る。サラたまちゃんには除草剤の使用が禁止されているほか、農薬の種類や量、栽培方法など、田畑さんらが中心になり、多岐にわたって定めた厳しい基準がある。
「水俣だからこそ、生産者も食の安全に敏感で、ルールを守る」と力を込める。「それに、大事なのは水俣の自然。よそで作っても同じ物はできん。水俣の気候と土で、サラたまちゃんが育つ。水俣にはそういう自然があることを伝えたい」
田畑さんらが早生タマネギ生産に取り組み始めたのと同じころ、水俣市の山あいにある薄原で吉野幸男さん(56)がお茶の無農薬栽培を始めた。「水俣に住むものとして、安全なものを作りたいという思いがあった」
自宅近くの茶畑に案内された。話の合間合間に、吉野さんが雑草を見つけて抜いていく。お茶の木のあちこちにクモが巣を張っている。
水俣で茶栽培が始まったのは昭和初期。吉野さんは茶農家の三代目に当たる。「有力産地に比べ規模も小さく、水俣産として商品になるのではなく、ブレンド茶原料の供給地だった」
吉野さんは九三年に無農薬栽培の仲間五人で「みなまた茶組合」を立ち上げる。狙いは環境保全型農業の拡大と水俣産のブランド化。出来上がった茶の販売に奔走したのが吉野さんの妻啓子さん(58)だった。
「最初は、水俣というだけで『水銀が入っているんじゃないの』と言われたこともある」と啓子さん。それでも、やかんと急須を持って試飲会や各地のイベントを回り続けた。近年はネット販売にも進出。ペットボトル茶の台頭などで苦戦も強いられるが、着実に愛好者は増え、組合員も九人を数えるまでになった。
「公害の教訓がある水俣だからこそ、安全・安心なお茶を作っていることを知ってほしい」と訴える啓子さんは最近、こんなことも考えている。「私たちが作ったお茶をティーバッグにする作業を福祉施設と共同でやれないか。農家だけでなく、みんなで盛り上がるようなことをやれれば」
汚染された魚介類という、食べ物を通して起きた水俣病。そのことを逆手に取って「水俣」を安全な食のブランドにする取り組みが続いている。
熊本日日新聞2007年5月30日朝刊
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